「活動記録」カテゴリーアーカイブ

千葉県立佐倉高校での活動(一)

千葉県立佐倉高校で2月2日に開催された、令和3年度SSH理数科課題研究発表会・普通科課題研究発表会に、オンラインで大井みさほ、小林憲正。町田武生会員が参加しました。

もともとこの発表会は、同校がスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けて進めている事業の成果を発表する発表会を対面で午前中に開き、午後はSSH代表班の2件と普通科探求学習の代表2件の発表をオンラインで開催する予定でした。しかしながら午前の部は、コロナ禍のために内部でだけ発表会を行い、外部からの参加は中止となり、午後の部の発表会みがオンラインで公開され、参加が可能となりました。いろいろと行き違いがあって、予定していたよりも少ない会員の参加となりました。

普通科代表の発表内容は、「草木染〜君と染める未来〜」と「Food waste in Convenience store(食品ロス)」に関するもの、SSH代表の発表は、「簡易濾過装置のろ材に関する研究」と「海洋中のマイクロプラスチックの回収方法」に関するものでした。

いずれも生活に密着したテーマを選んだもので、好感が持てました。7分発表、10分質疑応答でしたが、会員も質疑応答に加わりました。

上の写真は記念館。ここよりお借りしています。

八王子市中学校科学コンクール研究発表会での活動

12月4日に八王子教育センターで開催された、第13回八王子市中学校科学コンクールに、大井みさほ、西原 寛、町田武生会員が出席しました。このコンクールは主催:八王子市教育委員会、八王子市立中学校PTA連合会、後援:八王子市立中学校長会、協賛:オリンパス株式会社、NPO法人SSISS(科学技術振興のための教育改革支援計画)で実施されたものです。昨年の第12回コンクールの発表会は新型コロナ禍で中止になりましたが、今年は参加者数を制限して開催されました。

昨年度入賞したイラストを配したポスターが八王子市内の市立中学校に広く配布されて科学コンクール開催を知らせ、作品が募集されました。その結果、32校の八王子市立中学校から87題の自由研究作品が提出されました。その中から先生たちによって、最優秀賞1件、優秀賞1件、奨励賞3件、来年度のためのポスターイラスト賞2件が選考されました。

当日は、選ばれた各作品の研究発表会と、それぞれの賞の表彰式が行われました。会場には、受付に並んで選ばれた作品の発表内容を記したポスターが展示されています。

左から最優秀賞、優秀賞、奨励賞1
左から奨励賞1、奨励賞2、奨励賞3

定刻になり、司会進行による開会宣言の後、主催者代表である八王子市教育委員会委員長と八王子中学校PTA連合会長の挨拶があり、オリンパス株式会社代表の挨拶、石森孝志八王子市長の挨拶がありました。

会場内の様子
石森孝志八王子市長のご挨拶

この後、奨励賞の3件、優秀賞、最優秀賞の順で、発表が行われました。そのうち1件は都合により出席できないとのことで事前に録画されたビデオでの発表でしたが、4名は、パワーポイントのスライドを使った10分間の口頭での発表がおこなわれ、それぞれの講演終了後には質疑応答が行われました。

発表終了後、SSISS会員を含む関係者は別室に移って協議し、教育長賞、校長会賞、PTA連合会長賞、オリンパス賞、それにSSISS賞を選考しました。SSISS賞には、楢原中学校3年、石原京佳さんの「鍋の形の違いでお湯の温まり方に違いはあるのか?」を選考しました。

発表会場に戻った後、表彰式が行われました。初めに 八王子市教育委員会より、最優秀賞、優秀賞、奨励賞の賞状がそれぞれ授与され、続いて先ほど選考した各賞の授与が行われました。SSISS賞の石原さんには、西原 寛理事長から賞状、記念の盾と副賞が授与されました。

副賞は、「電池はどこまで軽くなる?くらしを支える電子とイオン」、電気化学会編、丸善出版、2013)でした。ちなみにこの本は、他の各賞の受賞者にも、副賞として授与されました。SSISS、太っ腹!かな。そのほかの賞にも、賞状以外に記念の盾が、最優秀賞にはトロフィーが贈られています。

その後、SSISS代表として西原理事長と中学校長会会長が挨拶し、理科部会長で長房中学校校長の中嶋昭江先生が講評された後、閉会宣言が行われて閉会されました。最後に、受賞した生徒さんと関係者との集合写真を撮影しました。

各賞の受賞者と発表の様子は以下の通りです。
・最優秀賞・教育長賞「ダンゴムシの交替性転向反応について」
    横山中学校1年 小林龍斗
・優秀賞・PTA連合会長賞「植物の分類と接ぎ木の関係~ピーマンとライムホルンとの呼び接ぎ」
    石川中学校3年 鈴木 葵
奨励賞・SSISS賞「鍋の形の違いでお湯の温まり方に違いはあるのか?」
    楢原中学校3年 石原 京佳
・奨励賞・オリンパス賞「バナナを長持ちさせるには~自分の好きなバナナの状態を長く保てる保存方法を求めて」
    打越中学校1年 三原 雄太
・奨励賞・校長会長賞「透明で八面体のミョウバン結晶を作るには」
    別所中学校2年 小出 隼

なお、講評をされた中嶋校長は、大井会員の東京学芸大学の研究室の卒業生であり、八王子市とSSISSとのつながりが一層深まった感がありました。

東村山市第七中学校での活動

有山正孝、大井みさほ、奥田治之、小林憲正、西原寛、和田勝会員が、11月12日の午後に、東村山第七中学校で、2年生の生徒150名に対して実験授業を行いました。この活動は「東村山夢と希望プロジェクト」から依頼されて行う出前授業で、2年生の生徒全員が6つに分かれて、それぞれのテーマを午後の2コマの授業を連続して行いました。

本来は9月に行う予定でしたが、新型コロナの緊急事態宣言発出のために延期となりました。その後、Zoomによるリモート会議を同校の副校長先生と1回、さらに理科担当の先生を加えて1回行い、またメールのやり取りにより内容や準備の相談を行い、宣言が解除された上記の日付に実施される運びとなりました。

授業は昼休み後の午後13時30分から15時15分まででしたが、各会員ともに午前11時には学校に集まり、ひと休み後に各教室に分かれて準備を行いました。当日のテーマは以下の通りです。西原寛会員「金属の不思議-金の色を変えてみよう-」、和田勝会員「ゾウリムシで遊ぼう、学ぼう」、小林憲正会員「宇宙人は左きき?-生命の起源を右と左で考える-」、大井みさほ会員「光の進み方を調べてみよう」、奥田治之会員「レンズのはたらき、望遠鏡のしくみ」、有山正孝会員「モーターはなぜ回る?」。各会員からの報告書と、プロジェクトの責任者である富摩照夫さんから頂いた授業風景の写真を使って、当日の模様を再現してみます。

「金属の不思議-金の色を変えてみよう-」(第1理科室・西原寛)

1時間目は、金属にはどんな違いがあるのかを、金・銀・銅・亜鉛を使って、化学的な安定性を実験や観察を通して比べて考え(テーマ1)、2時間目は、同じ物質でも原子の集まり方によって、色が変わることを、金を用いて観察する実験(テーマ2)を行いました。

スライドを使って説明する西原 寛会員

テーマ1では、中学2年で学習した「酸化」と「還元」の定義の拡張について説明したあと、生徒は、酸化された金(塩化金酸ナトリウム)の水溶液, 酸化された銀(硝酸銀)の水溶液、酸化された銅(硫酸銅)の水溶液に金線、銀線、銅線、亜鉛線を1,2分浸して、線の表面の変化を観察しました。
たくさん変化する金属を選んだ生徒は、色々な形態のものが表面に生成する様子を観察して記録に勤しむ一方、全く変化しない金属を選んだ生徒は「金は最強だ」などとおしゃべりになっていました。
班として、各生徒の結果を総合して、変化が起こらない順番に金属を並べ、化学的安定性と酸化・還元についての理解を深めてもらいました。

化学的安定性を比較する実験

テーマ2では、多くの原子からなる1㎝3の金の塊は金色だが、金原子1個では無色になると予測されること、原子が数百から数千個集まった直径が10~100 nmの金のナノ粒子では、金色でない色を呈すること、そして金のナノ粒子を合成するには、酸化された金を還元して原子1個をつくり、それを集合させる方法を用いることを説明しました。

金原子の数と色の関係は?

説明の後、生徒は、金ナノ粒子の生成と変化の実験を行いました。具体的には、沸騰した塩化金酸水溶液にクエン酸ナトリウム水溶液を還元剤として加え、色の変化を観察しました。ほぼ無色だった溶液の色が、数十秒後には段階的に激変する様子を生徒たちは見入っていました。

クエン酸は酸化された金を還元し、凝集した金原子を取り囲んでナノ粒子を作る

5分加熱を続けた後、少し冷まし、その溶液の一部を塩化ナトリウム粉末の入ったバイアル瓶に入れ、溶液の変化を観察しました。溶液の色が変化し、微粒子が生成したことを確認した後に沪過を行い、ろ紙に集めた粉末をミクロスパーテルでこすって変化を観察しました。
この作業で、金色の部分が現れることを予定していたのですが、残念ながら、その観察ができた班はありませんでした。この段階で残り時間が短くなり、十分に粉末を集められなかったためと思われます(次回の実験授業の課題です)。

最後に、今日、行った実験の結果について解説を行い、授業を終了しました。

「ゾウリムシで遊ぼう、学ぼう」(第2理科室・和田勝)

江戸川子ども未来館での小学生に対する活動では、導入としてゾウリムシを細胞の一つとして観察させ、タマネギ鱗茎葉表皮細胞の観察、ヒト口腔上皮細胞の観察と続き、生物が細胞が集まってできていることを実感させてきました。中学2年生では授業で多細胞生物を学習し、タマネギの細胞はすでに観察しているので、ゾウリムシのさまざまなはたらきを観察して、多細胞生物であるヒトの体のつくりや仕組みと比較し、ヒトの体の成り立ちを考えるという方向にしました。

選んだゾウリムシのはたらきは、運動(繊毛による遊泳)、浸透圧調節(収縮胞の動き)、摂食(食物の取り込みと食胞形成)です。
最初はシャーレに取り分けたゾウリムシを肉眼で眺めてもらいました。ゾウリムシの大きさを実感してもらうためです。

ゾウリムシの運動 観察1 次にスライドグラスにゾウリムシを含む水を一滴、滴下し、カバーグラスをかけて観察してもらいました。ゾウリムシがどのように遊泳しているかを観察してもらい、どうしてこのような動きが起こるかを考えてもらいました。

顕微鏡を繋いだ大型のビデオモニターがあったので、ゾウリムシを映して、繊毛が動いているさまを提示することができました。

実験1 次に、塩化ニッケル水溶液を加えると、繊毛運動が停止することを観察しました。

繊毛が曲がることを説明するために、10㎝程の2本の細いビニールチューブを両端と真ん中の3か所を輪ゴムで束ね、片方をずらすとチューブが曲がることを示しました。たくさんの人が次々と肩車をして高くなり、その人柱が2本、接して立っていることを想像します。後ろに配置した人が、それぞれ前の人柱の人の肩に両手をかけ、勢いをつけて一つ上の人の肩に這い上がっていくイメージだよと、生徒の肩に手をかけて説明しました。

繊毛の中にもこのようなチューブが9本(真ん中には2本)あって、ずれることによって屈曲します(繊毛の断面図を使って説明)。この動きにはエネルギーが必要で、塩化ニッケルはそれを阻害するために運動が停止することも付け加えました。

ヒトでは繊毛は気管上皮細胞にあって、吸入した異物を粘液が捕捉して繊毛運動によって口に戻して痰として吐き出すことを説明しました。

ヒトが運動するときには筋肉の収縮が起こります。筋肉では、上に述べたような棒がたくさん並んでいて、両端が隔壁と結合しています。たくさんの棒が滑り込むことによって隔壁間の間が短くなり、結果的に収縮が起こることを図を使って説明しました。

ゾウリムシの収縮胞 観察2 次に、メチルセルローズでゾウリムシの動きを止め、収縮胞を探してもらいました。見つけた収縮胞は、1分間に何回ぐらい収縮をするかを数えてもらいました。
顕微鏡につないだモニターにゾウリムシを映して収縮胞を示しましたが、生徒はなかなか収縮胞を見つけることができず、ちゃんと数を数えられた生徒はいませんでした。
本来なら蒸留水の代わりに食塩水を加えて、収縮の数が減ることをやりたかったのですが、そこまではいきませんでした。
ゾウリムシでは外界の水が細胞内に入るために水を排出して細胞内の塩分濃度を一定にしていることを説明し、これを浸透圧調節という、と付け加えました。下の動画はサイトのための参考です。NHKに感謝します。

NHK for School ゾウリムシの収縮胞より転載しています。

ヒトでは細胞の周りは浸透圧が一定の体液で包まれているので、個々の細胞では調節を行わず、腎臓がまとめてその機能を果たしていることを図を使って説明しました。

ゾウリムシの食事の仕方 観察3 最後に、あらかじめ用意しておいた乾燥酵母菌をコンゴーレッドで染色したものを配り、ゾウリムシが食胞として取り込むことを観察してもらいました。体の中が赤くなっている、という声が上がったので、観察できたのだろうと思います。

ゾウリムシは、先端から縦軸に沿って凹みがあり、そこにある繊毛によって餌を細胞口へ送り、そこから食胞として取り込みます。取り込まれれた食胞は消化酵素を含む小胞と融合して、食胞内で消化されることを説明しました。

ヒトではどのように消化しているかを尋ねました。ヒトの場合は消化酵素を細胞外(消化管の中)へ分泌し、消化してアミノ酸やグルコースになったものを小腸の絨毛上皮細胞から取り込んでいることを、図を使って説明しました(小腸絨毛から取り込むと答えた生徒がいました)。

最後に単細胞生物は、一つの細胞ですべてをこなすが、多細胞生物ではそれぞれの働きを分業していることを言い、どうして分業方式を取ったかを問いました。

生徒は積極的に課題に取り組んで楽しんでいたと思います。終わった後で一人の生徒さんが、「とても面白かったです、ありがとうございました」とわざわざ言いに来てくれて、うれしかったです。用意した課題のすべてをこなせなかったので、進行については反省すべき点がありました。今後の課題です。

「宇宙人は左きき?-生命の起源を右と左で考える-」 (多目的室・小林憲正)

6名ずつ4班に分かれてもらい,分子模型セット,コガネムシ,左右円偏光フィルター,鏡を各班毎,パワーポイントのハンドアウトと質問の解答用紙を各生徒に配布しました。講義は3つのパートに分かれます。1)私たち(地球人)はどのようにして誕生したのか?、2)地球以外にも生物はいるのか?、3)私たちはこのさき、どうなるか?です。質問に答えてもらいながら、講義は進みます。

私たち(地球人)はどのようにして誕生したのか?
地球上にはたくさんの生物が生息しています。そもそも、生物と無生物の違いは何ですか?という質問から始まりました。このような多様な生命が、地球上でどのように誕生したのか,どのように進化してきたのか、どのように説明されているのか、スライドを使って説明しました。

地球が誕生したのが46億年前、それから10億年たったころに、生命が地球上に誕生したと考えられています。ミラーの実験が示すように、原始地球上で雷による放電によってアミノ酸などの有機化合物が作られたと考えられています。生命は、これらの素材をもとに生まれたのです。こうして生成したアミノ酸などは、右左の偏りがあります。通常の合成過程では、右利きと左利きのアミノ酸は半々に合成されますが、地球上の生物の構成要素であるタンパク質は左利き(光学的に左旋性)のアミノ酸から構成されているのです。アミノ酸のような生体分子が左右対称でないことが重要であることを解説しました。

実習として,分子模型を使って,3つの結合手をもつ黒い原子に3つの異なる原子(団)を付けた場合に、どのような形になるか、次に4つの結合手をもつ黒い原子に4つの異なる原子(団)をつけた場合,どのような形になるかを体験してもらいました。

前者では赤と黄色を付け替えても裏返せば同じになるので1種類のみ、でも後者では2種類の分子(鏡像異性体)が可能なことがわかります。

炭素原子 は4つの結合手を持つのです。

次に,コガネムシの翅を左右円偏光フィルターを通して観察すると異なった色に見えること,鏡に写した場合は結果が逆になることを確認してもらいました。ちなみに、偏光には直線偏光と円偏光があり、直線偏光は振動が一平面上にあるのに対して、円偏光では円を描き、右円偏光と左円偏光があります。下の動画は右円偏光です。さらにちなみに、自然光はこれらの光がすべてランダムに混ざった光です。

円偏光ってなに? (starman.biz) より。進行方向で見て反時計回り、すなわち右円偏光

コガネムシの翅の色が左右の円偏光板で変わるのは、翅によって反射された光が左回りの円偏光だからです、構造色の一種ですね。コガネムシの翅を構成しているクチクラ層は多数の棒状分子積み重なっているのですが、分子の向きが少しずつ変化して積み重なっていて、左巻きのらせん構造になっています。そのため、そこを通過した反射光は左回りの円偏光になるのです。反射しなかった右円偏光はこの層を通過して吸収されて熱に変わります。円偏光が、コガネムシにとってどのような役割があるのかはいろいろな説があります。

コガネムシの翅の円偏光反射については下記のサイトで詳しく説明されています。円偏光を反射するコガネムシ円偏光を反射するコガネムシ(続き)コガネムシは円偏光(第3版)

これらのことから,地球生命が分子レベルで非対称であること,それが生命の本質に関係することを考えてもらいました。

なぜ地球上の生物は左利きのアミノ酸のみを使っているのかについては、いろいろな仮説があって明確にはなっていないのですが、近年、オリオン座大星雲から広範囲に円偏光が放出されていることが観測されました。そこで一つの仮説として、太陽系はオリオン座大星雲のような大質量星形成領域で形成され、その後、大規模な円偏光に飲み込まれて片一方の円偏光の照射を受け、左利きアミノ酸に偏ることになった、というものです(ここを参照してください)。

地球以外にも生物はいるのか?
後半は,地球外生命の存在の可能性について,いくつかの質問を通して考えてもらいました。地球でも様々な極限環境に生物が存在していることから,太陽系でも火星,エウロパなどの天体に生命が存在するかもしれないこと,その探査が行われていることを紹介しました。太陽系外は電波による探査(SETI)が行われていますが,その成否は,文明の寿命に依存することを紹介しました。

私たちはこのさき、どうなるか?
最後に、これまで述べてきたことから、地球外生命を考えることは私たちの環境・文明を護っていくことにも通じることを理解してもらいました。

「光の進み方を調べてみよう」 (調理室・大井みさほ)

初めに光とは何かの話をしました。光は電磁波のうち、狭い意味では眼に見える波長の範囲ものを言い、波長の違いが色になります。光は波の性質を持っていますが、粒子の性質も持っています。屈折や反射、干渉や回折は、波でなければ説明できない現象です。しかしながら、物質に光を照射すると電子が放出されたり電流が流れたりする現象(光電効果)は、光が粒子であるとしなければ説明できません。つまり光は、波と粒子の両方の性質を併せ持っているのです。光全般についての役立ちそうなサイト(キャノンサイエンスラボ・キッズ)です。

光の速度を測ろうとする試みは、既に17世紀に行われています。その後、いくつかの試みが行われましたが、現在では、世界の幾つかの研究所でレーザーでの測定を積み重ねた結果、その速さは定義値である299792458m毎秒になった話もしました。

さらにレーザーの原理について説明を行いました。レーザーはLight Amplification by Stimulated Emission of Radiationの語の頭文字をつなぎ合わせたもので、レーザー光発生の原理を言い、この原理による発生装置のことをレーザー発振器と言い、発せられた光をレーザー光と呼びます。レーザー光は、自然光と違って、波長と位相がそろっていて指向性(直進性)の強い性質があるために、ここで扱う実験にはとても適しています。指示棒の代わりに使うレーザー発振器は、レーザーポインターと呼ばれます。

レーザー光発生の原理を簡単に書いておきます。原子にエネルギーを与えて励起状態にし、励起状態から元の基底状態に戻るときに光が放出されます。放出される光の波長(色)は原子の種類によって異なります。原子を閉じ込めた管にたくさんのエネルギーを与えて励起状態の原子を増やし、同じ周波数の光を照射すると、励起状態の原子が連鎖反応的に光を放出するので、これを管の両端の鏡で反射させて往復させることによりさらに光は増幅されます。こうして増幅された光を片側の部分反射鏡を通過させて取り出したものがレーザー光です(参考になるサイト)。ただし、レーザーポインターは半導体(レーザーダイオード、LD)を使っています(参考になるサイト)。

赤と緑のレーザーポインターを使って、空気中と水中で光の進む様子を観察しました。

「レンズのはたらき、望遠鏡のしくみ」(少人数教室・奥田治之)

透明なアクリル板で作った水槽の水に散乱体を入れて、レーザービームの通り道を可視化します。これを使って、光の様々な性質を示す実験を行いました。まずは3本のビームが直進している様子です。

水槽の右端に凸レンズを置くと、このビームは焦点を結びます。レンズによる屈折ですね。

光の反射の様子を示します。背後に分度器を置いて入射角と反射角が同じであることを読み取れるようにしています。

光が水からプラスチックに入射した時の屈折の様子。ここでも分度器を背後において、入射光と屈折光の角度を読んで、屈折の法則が確かめられるようになっています。

続いてレンズのはたらきによる屈折、点光源から出た光が凸レンズによって一点に集まることを示しています。

このレンズの屈折の働きを利用したのが、望遠鏡です。どうして遠くの物が拡大して見えるのか、望遠鏡の仕組みを説明しました。望遠鏡は、2枚のレンズを使います。接近不可能な遠方の物体の像を焦点距離の長い対物レンズで至近距離に映し、それを焦点距離の短い接眼レンズ(虫眼鏡)で拡大して見ているのです。

https://star-party.jp/owner/?p=1174より拝借

対物レンズの像を半透明の紙に写し、それを接眼レンズ(凸レンズ)で拡大して見るということを2つの紙筒を使って示し(下の写真の左端と真ん中)、上に述べた望遠鏡の原理を理解してもらいました。あらかじめ紙筒で作った簡易な望遠鏡(下の写真の右端)を使って、像を見ながら、紙筒を前後させて焦点調節をするということも実体験してもらいました。
望遠鏡の作ろうというJAXAの製作したYouTube動画を載せておきます。

JAXAのページより

その後で、本物の望遠鏡を見せて、その構造を説明し、屋上から、周辺の景色(富士山など)を見て、望遠鏡の使用法を実体験してもらいました。

ケプラー式望遠鏡ですから、像は上下逆転してしまいますが、こんな富士山が見えたようです。

ちょうど上弦の月が出ていたので、それも見てみました。クレーターが見えると言って、生徒さんたちは喜んでいました。

当日の月例は7.2で、もう少し左に膨らんでいます。

 生徒さんたちは、光や、レンズの性質を可視化して見ることなどに興味を示してよく観察し、実感的に望遠鏡の性質や構造を理解できたようです。最後に、望遠鏡の歴史やそれによる天文学の進歩などを簡単に説明しました。

「モーターはなぜ回る?」 (数学室・有山正孝)

ゼムクリップを使って簡単なモーターを作って、モーターはなぜ回るのか、回るためにどのような工夫が必要かを考えるのが、今回の主なテーマです。

小学校で学習した電流の磁気作用、電磁石の復習から出発しました。実験1 方位磁針に銅線を流れる電流を近づけると、磁針が動きます。電流が磁力を発生しているのですね。1820年にデンマークの物理学者エルステッドが初めて気づいた現象です。

ここからお借りしています。

実験2 つまり、銅線を巻いたコイルに電流を流すと、磁石になるということです。

ここで、磁界という概念を導入します。これは中学校でこれから学習することです。
実験3 棒磁石の周りには、磁力線で表すことができる磁界が存在します。下の写真の鉄粉による縞模様が磁界を表しています。

https://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/chu_2/ene/jikai/3-3-1/3-3-1-4.htmlよりお借りしています。

実験4 直線電流の周囲にも、同じように磁界が発生します。

以上のことをまとめた動画があります。3分31秒とちょっと長めですが。

ここからモーターへ移ります。電流を流すと磁石になる、2つの磁石のNとN、SとSは反発する、というところから始めます。
実験5 このことを示すが電磁ブランコです。電流を流したり切ったりすると、コイルがブランコになります。

このコイルの動きを回転運動にするためにはどうしたらよいでしょうか。必要な工夫について考えてみましょう。考え抜いた末に、教科書にも記載されているクリップモーターの作成を各人に行ってもらいました。

大部分の生徒が、限られた時間内にコイルを回転させることに成功しました。生徒は休憩時間中も工作に熱中していました。生徒数に対して十分な数の指導者が確保できれば、全員に成功させることができるのですが、今回それが叶わなかったのは残念でした。

今回のものではありませんが、参考に。

クリップモーターの作り方を写真入りで丁寧に解説したサイトがここにあります。

磁石と電流によって回転をする軸を作ることができれば、水車や風車に代わる動力源になる可能性があります。電流の磁気作用が発見されたのは1820年、最初の実用的モーターが完成したのは1834年!です。原理がわかっても(科学)、実際に使えるように実用化するためには工夫が必要です(工学)。

実験6 電磁ブランコで示したように、磁石と電流の流れている導線を近づけると力が働いて動きが起きます。それなら逆に、電流の流れていない導線を磁石に近づける、あるいは電流の流れていない導線に磁石を近づけるとどうなるでしょうか。次の写真のように、コイル、ネオジム磁石、検流計を用いて、磁石をコイルに近づけると、磁界の変化により導線に電流が発生することが観察できます。これが、電磁誘導です。

実験7 次に4~5名のグループで磁石の運動によってアルミの鍋蓋を回転させる実験(アラゴーの円板)をしました。アルミは磁石にはくっつきませんが、磁石を回すと、あたかも磁石に引っ張られるように回転します。これはアルミ板に外向きの渦電流が発生し、フレミングの左手の法則により回転する力が発生するためです。 

https://hegtel.com/arago.htmlより拝借

実験8 ピンク色のプラスチックの板と銅板(どちらも磁石にくっつかない)を重ねて斜面を作っています。磁石を滑らせると、プラスチック板の方ではスーッと滑り落ちるのに対して、銅板の方ではゆっくりと滑落します。これも銅板の方では上と同じように渦電流が発生して滑り落ちるのに抵抗するような力が発生するためです。ここのサイトが参考になります。

上では先に解説してしまっていますが、当日はどうしてこのような現象が起きるのか、その理由を考えてもらい、渦電流と誘導電動機の原理について解説しました。実験7では磁石を手で回していますが、磁界が回転すればいいんですよね。ここが誘導電動機への道の重要なところです。
これらに関連して、原理の発見と実用化に至る過程、科学と技術・工学の関係について解説しました。科学と技術、理学と工学の役割分担、協力関係を考えてみましょう。科学技術ではなく、科学と技術なのですよね。

磁石と電気の歴史をお話しするつもりでしたが、とても時間がなく、割愛しましたが、ここに載せておきます。

〇人間にショックを与える魚:紀元前2700年頃には古代エジプトで知られていた?
〇磁石の発見:紀元前1,000年以前からギリシャで知られていた。プラトン(ギリシャ、紀元前400年頃) 磁石について書き記している
〇摩擦電気の発見;紀元前600年頃 タレス(ギリシャ)
〇方位磁石(指南魚):11世紀頃、中国で磁石にN極・S極があることを発見 
〇雷の正体:1752年、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ、1705~1790)
〇電池の発明;1800年、アレツサンドロ・ヴォルタ(イタリア、1745~1827)
〇電流の磁気作用:1820年、ハンス・クリスチャン・エルステッド(デンマーク、1777~1851)
〇電磁誘導の発見:1831年、マイケル・ファラデー(イギリス、1791~1867)
〇電磁気学の完成:1864年、J.C.マクスウェル(イギリス、1831~1879)
〇最初の実用的モーター:1834年、トーマス・ダベンポート(アメリカ、1802~1851)
〇最初の誘導電動機:1887年、ニコラ・テスラ(クロアチア、1856~1943)1885年、ガリレオ・フェラリス(イタリア、1847~1897)
  ⇒産業、家庭生活の電化
〇トランジスタ:1947年、J.バーディーン(1908~1991)、W,ブラッテン(1902~1989)
  ⇒ディジタル、コンピューターの時代

江戸川区子ども未来館での活動(2)

大井みさほ会員が、8月6日の午後に、江戸川区子ども未来館で毎年実施している「子どもアカデミー夏休みプログラム」の中の一コマとして、「光のすすみかた」というタイトルで実験授業を行いました。参加した児童は小学校3年から6年の児童10名でした。密を避けて収容化の人数の半分以下にしているようです。

最初に、「レーザーとはなにか」と題する資料を配り、レーザー光について説明をしました。次に緑と赤のレーザーポインターを使って、水槽に張った水の中をレーザーポインターの光束が通過する様子を観察し、反射や屈折の実験をしました。

その後、回折格子を配り、蛍光灯や外の景色を観察し、最後に光ファイバーの話をして、持参した種々の光ファイバーを使って、いろいろな使い方を試してもらいました。

江戸川区子ども未来館での活動(1)

和田勝会員が、8月5日の午後に、江戸川区子ども未来館で毎年実施している「子どもアカデミー夏休みプログラム」の中の一コマとして、「生物は細胞でできている」というタイトルで実験授業を行いました。参加した児童は小学校4年から6年の児童12名でした。密を避けて収容化の人数の半分ほどにしているようです。

小型の実体顕微鏡が人数分以上の台数あったので、最初に、拡大するとはどういうことかを実感してもらうために、新聞の折り込み広告のカラー写真を拡大して見てもらいました。肉や野菜の写真を拡大して見ると、細かい色の点が見えます。カラー写真が、シアン(C)、マゼンタ(M)、黄色(Y)と黒(K)で構成されていることが分かります(CYMK)。

次に顕微鏡の操作法の説明を少し詳しく行い、持参したプレパラートを使って操作に慣れてもらいました。その後に、単細胞生物のゾウリムシの観察を行いました。どのように動くか観察するよう促しました。

その後、多細胞生物の植物の例として、お決まりのタマネギ鱗茎葉の内側の表皮層を切り出してもらい、酢酸カーミンで染色して表皮細胞を観察しました。染色により1つ1つの細胞に核がきれいに見えました。ついでミニトマト果実の表皮細胞を観察し、細胞の形、大きさ、色、配列の仕方の違いを考えるように促しました。

動物細胞の例として自分の頬の内側の表皮細胞を綿棒でこすり取り、染色して観察しました。今回もすべての人がうまく観察することができました。ここで植物細胞と動物細胞の違いを説明しました。

最後に細胞分裂の動画を見せ、細胞は細胞分裂により数を増やし、成長することを強調しました。

池袋立教中学校・高等学校での活動

有山正孝、小林憲正、佐々田博之、町田武生、箕浦真生、和田 勝会員が、7月31日の午後に開催された、立教池袋中学校・高等学校の科学部研究会発表会に参加して、助言を行いました。今年度は生物部は参加せず科学部だけで、Zoomを使った研究表会でした。

Zoom研究発表会の様子を画面撮影、修正してあります。

演題は中学生から7題、高校生から6題あり、途中2回の休憩をはさんで予定時間を30分ほど超えて実施されました。いずれの演題もパワーポイントを使って発表され、7分の発表時間の後に3分の質疑応答が行われました。

「生分解性(カゼイン)プラスチックー身近なものでプラスチックづくり」「竹串でフィラメントづくり」「ホウ砂球反応」「酸化チタンによるメチレンブルーの還元」など、興味深い内容のものが多々ありました。

質疑応答の時間には活発なディスカッションがあり、SSISSの会員からも多くのコメントが寄せられ、もう少し内容がわかる演題の表現が望ましいというコメントもありました。また、スライドの内容も、説明不足(少なくとも初めて聴く者にとっては)のものが見受けられました。 ただし、どの演題も問題を設定して実験によって解決しようとする姿勢は見て取れました。これからの発展・展開が楽しみです。

2021年度総会開催

年度の初めのあいさつ文を書こうと思っていて、時が過ぎて行ってしまいました。新年度になって、当然のことながら総会の案内を送付をしました。それに基づいて5月29日(土)午後2時からZoomによる総会を開催しました。

幸いなことに、返送されてきた議決権行使書とZoom会議出席者で、総会成立の要件が満たされ、総会はスムースに進行して終了しました。総会議事録はここにあります。

そこで審議された、2020年度の活動報告書並びに決算関係の文書、2021年度の活動計画書と予算の文書は、該当ページにアップします。また、今年度は、前役員の任期が終わり、新たの役員の選出が行われました。これに関しても該当ページにアップしますのでそちらをご覧ください。

東村山市野火止小学校での活動

有山正孝、大井みさほ、奥田治之、和田勝会員が、11月17日の午前中に、東村山市野火止小学校で、6年生の児童102名に対して実験授業を行いました。この活動は「東村山夢と希望プロジェクト」から依頼されて行う最初の出前授業で、6年生の児童全員が4つに分かれて、4つのテーマを2つずつ選んで3,4時限の45分授業時間に行いました。校長先生、副校長先生をはじめとして、多数の教職員の方々に、積極的に受け入れ準備と当日の実施に気を配っていただきました。児童への授業の宣伝として、こんな物を作成して掲示していただきました。

写真にあるように、それぞれの授業のタイトルは、有山会員が「電流と磁石-原理と応用-」、大井会員が「光で遊ぶ、レーザー」、奥田会員が「望遠鏡で見ると物がなぜ大きく見えるか」、和田会員が「生き物は細胞という単位でできている」でした。

9時に学校に集合し、各自が割り当てられた会場(体育館や理科実験室など)で準備を行い、 10時25分より体育館で開講式が行われました。校長先生のあいさつの後、講師の先生方(つまり我々)が紹介され、教育委員会関係の方のあいさつなどがあった後、各会場に分かれて授業が行われました。 各会場の様子を写した写真を野火止小学校から提供いただいたので、それを交えて実験授業の様子を簡単に書いておきます。

〇有山正孝会員は、「電流と磁石-原理と応用-」ということで、最初に電流と磁石の相互作用について説明しながら演示実験を行いました。電線に電流を流すと磁力が発生して電線が磁石になります。

これらのことを理解したうえで、 1人ずつクリップモーターを作ることにします。エナメル線をコイル状に巻いたものや電池ボックスと基盤になる厚紙は、有山先生が 用意しておいてくださいました。 ゼムクリップで 軸受を作り、 コイルから出た直線部分のエナメルをはがします(一方は全部、一方は上半分だけ、ここがポイント)。

基盤に電池ボックス、軸受け、永久磁石を配置し、ミノムシクリップが両端についた被覆線で配線して、軸受けにモーターとなるコイルを載せます。ちょっと動かしてやると、くるくると回りだします。成功です!電流と磁石の関係が分かったかな?


〇 大井みさほ会員は、「光で遊ぶ、レーザー」ということで、赤、緑のレーザーポインターを使って、光の進み方を観察しました。

レーザー光はなぜ収束したまっすぐな光なのか、その原理を図を使って説明しました。最後に、偏光板を使って自然光と蛍光灯の光を比較しました。

〇奥田治之会員は、「望遠鏡で見ると物がなぜ大きく見えるか」ということで、 最初にピンホールカメラの原理、レンズの働き、焦点距離の説明をスライドを使って行いました。

奥田先生自作の装置とレーザー光による光の進み方を使った演示実験、下の写真の後ろ側に少し見えているのがレンズです。これらを使って光の屈折を調節でき、焦点距離などを実感できます。

実物の望遠鏡での体験では、隣の中学校の時計がはっきり見えるのに驚きました。

〇和田勝会員は、「生き物は細胞という単位でできている」ということで、単細胞生物ゾウリムシとタマネギ輪茎葉の表皮細胞を顕微鏡で観察し、細胞を意識させることを目指しました。

最初に、拡大するとはどういうことかを実感するために、実体顕微鏡を使って新聞の折り込み広告のカラー写真を見てもらいました。肉や野菜の写真を拡大して見ると、細かい色の点が見えます。カラー写真が、シアン(C)、マゼンタ(M)、黄色(Y)と黒(K)で構成されていることが分かります(CYMK)。

持参したゾウリムシを配り、観察してもらいます。最初は自由に観察してもらい、0.2mmほどの単細胞生物が動き回ることを楽しんで観てもらいました。動きを止めるために、メチルセルローズを加えました。最後にタマネギ輪茎葉の表皮細胞層を引きはがして配り、酢酸カーミンで染色して観察してもらいました。細胞がびっちりと並んでいるのが面白かったようです。

45分という枠の中での説明や演示実験、実験だったが、児童たちはそれぞれの実験を楽しんだようで、副校長さんからのメールに「放課後の職員室においても、授業の素晴らしさ、子供たちの喜びの声など様々なことを遅くまで話題にしていた。」とありました。 また後日、送られてきた児童の感想文には、「おもしろかった」、さらには「もっと知りたいと思った」、「調べてみようと思った」、などの記述があり、科学っておもしろいというメッセージが伝わったのだと思いました。

市川学園市川高等学校での活動

新型コロナウイルス感染拡大のために、SSISSの活動も大きな影響を受けました。今年度に入り総会がリモートになり、支援の依頼もなくなりました。ようやく8月に入って、江戸川子ども未来館と東京雑学大学での活動が行われました(Web掲載済み)。例年なら、7月頃に市川学園高等学校の生徒のポスターによる研究計画の発表があり、これに対して指導助言の要請があるのですが。今年は依頼がありませんでした。

そんな折に、市川学園の担当者から、今年度は上記の理由で予備実験を行って研究経計画を立て、ポスター形式で発表することができなくなった、その代りに、実験を行わずに研究の背景や予定する実験についてまとめた計画書を提出させたので、それに対してアドバイスをお願いしたいと電話がありました。この依頼は、例年、ポスター発表会で指導助言を行っている、細矢治夫、町田武生、和田勝会員に来ました。

以下は、和田が代表して活動について書き留めておきます。引き受ける旨を電話口で返答すると、8月4日付で、生物分野の64テーマの研究計画書とコメントシート、生物分野以外も含むすべての計画書とコメントシートが入ったCD-ROMが送られてきました。計画書を読んで、気が付いたことなどのアドバイスをコメントシートに記入して8月末日までに返送してほしいとのことでした。

生物分野は、64テーマの個人あるいはグループによる研究計画書で、 4冊に分かれて綴じられていました。結構のボリュームです。 計画書には、氏名、タイトルのもとに、動機、背景、目的、実験計画と結果の予測、参考文献の項目があり、なぜタイトルにある研究を行おうとしたかの動機や、研究の背景、目的が記載されています。インターネットの時代を反映して、調べるにあたって参照したWebページが参考文献に挙げられていました。予備実験をできない中、いろいろと調べて書き上げたことがうかがえます。それゆえか、実験計画は十分に練られてなく、計画となっていないものも散見されました。仮説を立て、予備実験をして実験計画を練るという過程が、この時期にはできなかったので仕方がないのかもしれません。そんな点を念頭に、実験のやり方などの具体的な点をアドバイスしました。

この実験計画書をリバイスして、 9月から計画に従って実験が行われているはずです。実りある結果が出ていることを祈っています。

東京雑学大学での活動

和田勝会員が、8月27日の午後に、西東京市のコール田無で、東京雑学大学の学生さんに 「ウグイスってなにもの? 知られざる私生活をのぞく」というタイトルで 講義を行いました。 2時から4時までで途中に10分の休憩を挟んでの講義でした。30名ほどの学生さんが出席してくれました。

コール田無は、西武新宿線田無駅から徒歩7分ほどのところにあります。線路に沿った道を新宿方面に戻って、大きな道に突き当ったら左に曲がって、ちょっと坂道を上がると正面にコール田無の建物が見えてきます。

画像は上記の西東京市のページより拝借

この交差点の名前は、総持寺・田無神社前といいます。左を向くと確かにお寺が見えます。総持寺という名はどこかで聞いたような、そうだ横浜市鶴見区にある曹洞宗の大本山總持寺と同じ名前ではないですか。交差点の表示と違って寺の案内板には總持寺とありました。こちらは真言宗のお寺さんのようです。門が閉まっていて、中の様子はわかりませんでした。

で、交差点を渡って、コール田無の入り口を求めて右へ曲がると建物に沿ってスロープがあり入口へつながっているようです。でもその右側には鳥居が立っていて、田無神社とあります。コール田無は田無神社と隣接しているんですね。少し時間があったので、神社の中をのぞいてみることにしました。鳥居をくぐって階段を上ると、境内が開けます。

Wikipediaより

階段を上がると、参道が奥の方へ続いていて、結構広い境内のようです。二つ目の鳥居には開かれた神社と書かれた幟があります。後で調べたら、四六時中境内に入れる神社なのだそうです。それほど長くはない参道の両側には大きな木がそびえていて、雰囲気を作っています。

奥まで進んだ正面に拝殿がありました。注連縄をかけた屋根の下の横柱(虹梁というのでしょうか)の上には立派な龍の彫り物が施されています。

四隅にも龍の彫り物。

拝殿の左手には大きな銀杏の木があります。ご神木だそうです。

それ以外にも銀杏の木が何本かあり、それぞれに黒龍などと書かれた札がかかっています。また境内には、小さな社がたくさんあり、龍の彫像があります。どうやらここは龍神をまつる神社のようです。そういえば、参道の途中に龍神池(小さいけれど)があって、メダカが泳いでいました。

あちこち探検していたら、講義開始の30分前になってしまいました。急いで来た道を戻って、コール田無に向かいました。入口(実は裏口でした、本当の入り口は反対側にあったのです)から中へ入ると、警備員の方がいて東京雑学大学の会場は2階だと教えてくれました。急いで2階に上がり、会場へ。会場にはもうだいぶ学生さんが座っていて(距離をとって)、プロジェクターが用意されています。急いで準備しました。ところがパソコンの信号がうまくプロジェクターに送られないのです。すったもんだの末、別のプロジェクターに変えてもらってようやく用意ができました。ギリギリセーフでした。

紹介された後、講義が始まりました。そうそう、今回は、フェースガードを装着して 講義する羽目に。なんか邪魔だなーと思いながら始めました。時々フェースガードにマイクをぶつけました。


講義の内容は、これまでもこのWebの活動報告で書いてきたウグイスの話です。今回は大学の講義らしく、学生さんたちには、あらかじめハンドアウトとして、スライド枚数を減らして1ページ6コマで合計84コマを印刷したものを渡してあります。 分かり易く、時々は脱線しながらと、心がけて講義しました。終わった後に、いくつか質問をもらったので、まあまあ分かってもらえたかな、と思いました。

帰り際に、コール田無の警備員の方に、この建物のある敷地は田無神社だったのですか、と聞いたら、イヤそんなことはないという返事でした。でも参道の横に建っているのですから、気になります。道を挟んだ向かいの総持寺は?気になっていろいろと調べてみました。SSISSの活動に関係ないのですが、ちょっと補足します、ゴメンナサイ。

総持寺・田無神社前の交差点を右に折れましたが、この道は青梅街道です。青梅街道は新宿追分から青梅を経由して山梨県甲府市に至る街道ですが、江戸時代初期に、江戸城の改築に必要な漆喰の原料となる石灰を青梅から運ぶために整備されました。田無は青梅と江戸のちょうど中間にあるので、馬の乗り換え(継馬)等のための宿場町として繁栄しました。GoogleMapでコール田無あたりの航空写真を見てみると下のようになります。コール田無は青梅街道という文字の左にある青いマークです。

調布田無線という、地図上の中央やや左を南北に走る都道で左右に分断されていますが、左側の上に凸な三角形の敷地の總持寺と、右側の三角お結び型の田無神社の敷地は、なんかつながっていたように思えます。

それで總持寺を調べてみると、創建は江戸時代初め、別の地に西光寺として建てられたものが、慶安年間(1648-51)に現在地に移転したと伝えられている、とありました。さらに、この寺は江戸時代には田無神社(当時は尉殿権現社と呼ばれていた)の別当寺だとありました。当時は僧侶の方が神官よりも一段上でした。いずれにしても、両社が一体であったことがうかがえます。現在の總持寺と名称が変わったのは、明治の神仏分離令によって3つの寺が合併した結果です。

一方の田無神社、こちらの方がずっと古く創建は鎌倉時代後期とされています。こちらも創建された場所はもっと北で、名前も上に書いた尉殿権現社で、龍神が祭神でした。龍神は水の神様ですから、最も生活に密着した自然信仰ですね。その後、分祀したり遷座したりして最終的に今の場所に落ち着くのが江戸時代の初め(1670)でした。上に述べた青梅街道の整備に伴って宿場町を形成するために、幕府の命により住民が北の方から移り住み、おそらくそれに伴って神社も村のはずれに遷座したのでしょう。明治になって神仏分離令によって 寺と神社が分けられるまでは、神社の神号額はこのようなものが掲げられていました。現在は市指定文化財として、総持寺に保管されています。田無神社の由緒や宿場町のことなどは、田無神社のWebページに詳しく書かれています。

寺と神社を結ぶ人物が2人いや4人います。名主の下田半兵衛富永、富宅(とみいえ)親子と、医者の賀陽(かや)玄雪、玄順親子です。どちらも江戸時代末の同時代人です。この辺りは天領で代官がおり、そのもとで名主が村政を行っていました。田無村の名主として、江戸時代末に善政を敷いたのは下田半兵衛親子でした。
「富永は飢饉に備えた救済用穀物を貯蔵する「稗倉」を建て、古くなった稗は貧しい人々や病人に分け与え、富宅は自分の所有する畑を「養老畑」として提供し、その収穫物から得た金銭を村の70歳以上の老人に送りました。
また、二人の半兵衛は田無の地の宗教施設にも多大な影響を残しています。富永は現在の総持寺である西光寺を再建し、亡くなった後に自ら復興した西光寺に葬られました。富宅は自ら出資し、嶋村俊表を招聘し田無神社本殿を建立しました。 」田無神社のページより
そうです。西光寺の本堂の建て替えを、住職とともに推進したのが富永でした。子の富宅は、尉殿権現社の本殿の 建築を神田の宮大工と彫り物師に依頼に行くのです。

拝殿の彫刻については、上の方に写真で紹介しましたが、拝殿内の本殿の彫刻はさらに見事なものです。これらは江戸時代後期の彫り物大工の嶋村俊表の手によるものです。本殿は年に一度の公開の時しか見ることができませんが、田無神社のホームページに多数の写真とともに詳しく載っています。息をのむような見事な作品です。

田無神社のページより拝借
田無神社のページより拝借

東京芸術大学学長だった宮田亮平さんも、案内板の中でこう書いています。 「田無神社本殿は入母屋造り銅板葺きで、唐破風、千鳥派風をあしらった総欅造、そして組物は三手先という、江戸期を代表する神社様式の社殿です。とりわけ彫刻装飾が美しく、周囲の扉、欄干、柱、長押など隅々にまで大胆で繊細な彫り物がほどこされています。まさに江戸期の粋を集めた木造建造物といえるでしょう。この本殿は江戸神田の名工嶋村俊表によって造られたものです。嶋村家は当時、「江戸彫物御三家」の一つで、石川家、後藤家とともに隆盛を誇っていた名門でした。俊表はほかに川越の氷川神社(県指定重要文化財)や成田山新勝寺釈迦堂(国指定重要文化財)などの名作を残しましたが、この田無神社の本殿には円熟期の俊表の技量が見事に発揮されています。まことに嶋村俊表の代表作と申せましょう。」本殿・拝殿は東京都指定有形文化財です。全体像は次の写真をご覧ください。

田無神社のブログのページより拝借

賀陽玄雪、玄順親子についてですが、玄雪は文政6年(1823)に備前(岡山県)の池田藩侍医のときに、妻子を残して医学修行のために諸国修行の途中、田無に立ち寄り、名主下田半兵衛 宅に宿泊しました。その際に急病人が出ましたが、玄雪が治療にあたったところたちまち治癒したそうです。 当時、田無周辺には医者がいませんでした。困っていた富永は、玄雪の医術の腕と人柄を見込んで、田無の地での開業を頼みました。玄雪は備前から家族を呼び寄せ、田無に居住することになり、名主譜代の待遇で村医となりました。富永は必要な費用を寄付して玄雪の医療活動を助けました。村内だけでなく、周辺の農村からも多くの病人がやってきたそうです。
子の玄順は、父から医術を学ぶとともに江戸昌平坂学問所に入学して学び、長崎にも留学して西洋医術を治めました。 昌平坂で学んだので、神田の嶋村俊表を富宅に紹介したのかもしれませんね。明治元年には自宅に手習い所を開設して、農村子女の教育に当たりました。遠く八王子から通ってくる子女もいたそうです。
境内の案内板には、史跡賀陽玄節邸跡として、上に書いたようなことが記されていて、田無周辺の医療と教育の発祥地とあり、(現コール田無)と書かれてるじゃありませんか。やっぱりコール田無は、田無神社や總持寺と関係あるんですね。
明治になって神仏分離令の後は、賀陽玄順が田無神社の初代の宮司となり、その後、代々受け継がれています。

田無神社に戻って、もう少し境内のことを。田無神社の祭神は龍神だと書きましたが、現在では大国主命をはじめたくさんの祭神が合祀されています。でも、大本は龍のようで、境内には、上にも書きましたが、拝殿左手にある樹齢170年の銀杏が金龍で、その他、参道の右側に白龍、黒龍、青龍、赤龍の銀杏の神木があります。

そんでもって、龍の彫像もあちこちに。本殿に金龍があり、その他の4つの龍は、それぞれの方位に合わせて境内に配置されています。当日撮影したのは青龍のみでした。

4つの龍はまとめてこんな感じ。ここからお借りしています。

これ以外にも、あちこちに龍をモチーフとした彫像があります。そうそう、二の鳥居をくぐって少し行った左手にあるり龍神池についても触れておかねばなりません。
田無の地は水の便が悪く、宿場として村ができた最初のうちは、北へ1キロほど行ったところまで水を汲みに行っていたそうです。玉川上水ができて(1653)江戸に水が送られるようになると、そこから分水をして田無に送る田無用水の案が生まれ、幕府に願い出ましたが、なかなか許可が下りず、ようやっと元禄9年(1696)に許可が下り、現在の小平市にある喜平橋あたりで分水し、もっぱら田無宿の飲み水用として用水が引かれました。現在では、小平市にはまだ水が流れる田無用水が残っていますが、その先は暗渠となってしまいました(ここに田無用水に関して写真と地図入りで詳しく載っています、1と2あり)。

分水点からほぼ東北東にまっすぐ進んだ田無用水は、青梅街道の橋場交差点で二つに分岐し、ちょうど青梅街道を南北から挟むように並行して進みます。青梅街道沿いに並んだ家々に飲み水を供給していたことが読み取れます。北側の水路は、總持寺の南側塀際を通り道路を渡って少し北へ進み、東に折れて田無神社の境内を横切り、少し進んでから南下しています。下の地図の青い線が田無用水です。この地図は「川のプロムナード」というページの上記リンク先からお借りして手を加えました。とても丁寧な手の込んだページです。ご覧ください。作者に感謝します。

現在では、上の地図に載っている部分の田無用水は、すべて暗渠となっています。二本の暗渠になったところは、北側が「やすらぎのこみち」、南側が「ふれあいのこみち」と名前の付いた遊歩道になっています。 地図(特に航空写真)を見ると 日本の遊歩道が用水の跡であることがよくわかります。 上の地図のリンクをクリックして拡大して眺めてください(田無用水再生プロジェクトのページより)。

上に書いたように、田無用水は田無神社の境内を横切って流れていました。その名残として参道を横切って神橋が架けられています。

田無神社のビオトープのページより

田無用水は、往時には住民に飲み水、煮炊き用の水を供給するともに、川べりの景観と生態系をも提供していたでしょう。 田無用水を復活することは難しいけれど、水辺を再現することは大きな意味があると考えた田無神社の宮司が、NPO法人に相談して、用水のあった場所にビオトープを作ろうと計画して、できあがったのが龍神池です。2018年のことでした。講義の前にこの池を見たときは、神社の境内によくある昔からの池だと思ったのですが、知らべてみると新しいんですね。でも単なる池ではなく、田んぼの土や移植した植物、メダカなどで、多様な生態系を作ろうとしていることがうかがえます。

ここからお借りしています

これでやっと生物っぽい話題に戻りました。もう終わりにします。でも、土に根付いた歴史って面白いですね。